シナリオ作家 検索結果

検索ワード: 大島渚

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愛と希望の街 表紙画像

愛と希望の街

大島渚

990円(税込)

2022-02-21

もとのタイトルは「鳩を売る少年」。1958年執筆。同年12月、松竹大船撮影所監督助手会『シナリオ集』第9号に掲載された。『シナリオ集』とは、大島渚、田村孟、吉田喜重の3人が1956年に発刊した監督助手会の機関誌である。1959年、松竹から監督に起用すると言われた大島は、ためらうことなく「鳩を売る少年」を提出した。好評のうちに企画は通ったが、試写を見た撮影所長は「大島君。これでは金持と貧乏人は永遠に和解できないように見える」と不評だった。「愛と希望の街」は封切館ではなく二番館以下での公開となった。
しかし、社会に対する明確なメッセージをもったこの作品は、佐藤忠男、花田清輝、斎藤龍鳳など多くの評論家が取り上げ、賛辞を惜しまなかった。

底本:「日本の夜と霧」(現代思潮社、1972年第8刷発行)

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宵闇せまれば 表紙画像

宵闇せまれば

大島渚

990円(税込)

2022-02-21

大島渚が書いたシナリオ「宵闇せまれば」は、そもそもテレビ東京で自ら演出する予定のテレビドラマだった。しかし、内容が不穏であるとの理由で印刷された台本は没となり、大島は急遽「仰げば尊し」というシナリオを書いて演出した(大島唯一のスタジオドラマである)。破棄された「宵闇せまれば」の台本を持っていたのが、TBSの演出家・実相寺昭雄だった。実相寺は「愛と希望の街」を見て感動し、テレビドラマ「おかあさん」第一話、「あなたを呼ぶ声」のシナリオを大島に書いてもらった経緯がある。実相寺は「宵闇せまれば」を映画のシナリオとして印刷し、大島に許諾を求めた。大島は「私としては旧作でもあり、テレビ用のものでもあり、いささか面映いのだが、事ここに至っては承諾する外なかった」と書いている。中編「宵闇せまれば」は実相寺昭雄の事実上、映画デビュー作となったのである。

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青春残酷物語 表紙画像

青春残酷物語

大島渚

990円(税込)

2022-02-21

もとになったのは、大島が1958年に執筆したオリジナルシナリオ「愛と人間のめざめ」。松竹大船撮影所監督助手会『シナリオ集』第8号に掲載された。伊東の旅館にこもってシナリオを直しているとき、現代の本質をつかむには「残酷」をテーマにするのがいいと気づき、タイトルを「青春残酷物語」と決めてからは、作業は一気に進んだ。この作品は『週刊読売』の大沼正、長部日出雄に日本のヌーベルバーグと命名され、60年安保闘争の真っ只中、封切られた。

底本:「日本の夜と霧」(現代思潮社、1972年第8刷発行

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忘れられた皇軍 表紙画像

忘れられた皇軍

大島渚

990円(税込)

2022-02-21

大島渚のテレビドキュメンタリー。日本テレビのプロデューサー牛山純一が発足させた「ノンフィクション劇場」で放映された。牛山から作品を依頼されていた大島は、日本テレビ局員がもってきた韓国籍のため補償を受けられない傷痍軍人の話にとびついた。早坂暁の案で、補償の請願をする彼らを4台のカメラで追い、さらに大島渚に涙を流しながら訴える片腕両目失明の傷痍軍人に向けてカメラとテープを回し続けた。シナリオには大島渚のコメントがナレーションとして下段に書かれており、それを小松方正が叫ぶように読んだ。ナレーションが映像とあいまって彼らの心の深い傷をさらす。放映後、日本のお茶の間に衝撃が走った。白衣を身にまとった傷痍軍人のほとんどが韓国籍の人たちであるとは、夢にも思っていなかったからだ。篠田正浩監督は「絞死刑」と「忘れられた皇軍」が大島渚たるイデオローグを確立した作品ではないか、と述べている。第一回ギャラクシー賞受賞。

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愛のコリーダ 表紙画像

愛のコリーダ

大島渚

990円(税込)

2022-02-21

フランス人のアナトール・ドーマンはヨーロッパで大島渚を最初に認めたプロデューサー。アラン・レネやゴダールの映画も製作している藝術派である。1972年、彼はパリの試写室の控室で大島に言った。「合作で一緒に映画をつくろう。それはポルノだ。金はこっちで出す」。それから3年後、大島は「愛のコリーダ」を日仏合作で撮る決心をする。ネガをフランスから輸入して撮影し、未現像のままフランスへ送り返す。そしてパリで編集とダビングをするという方法を考えついたからである。
大島はシナリオを書き始めた。その最中に若松孝二に日本側のプロデューサーになってもらおうと心に決める。シナリオが書きあがり、若松に会った。若松は「面白い。やりましょう」と笑って言った。即答だった。
かくして映画は完成するが、逆輸入したフィルムは税関でストップ。大幅な修正を余儀なくされた。また、シナリオと宣伝用スチールを掲載した書籍がわいせつ物頒布罪で起訴されたが、一審二審ともに無罪となった。
「愛のコリーダ」は、公開されてから35年たった現在も日本の劇場では完全版を見ることはできない。
イギリス映画批評家賞外国語映画賞、シカゴ映画祭審査員特別賞受賞。

底本:「愛のコリーダ」(三一書房、1979年第10刷発行)

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悦楽 表紙画像

悦楽

大島渚

990円(税込)

2022-04-05

「天草四郎時貞」以来、3年ぶりの大島作品。その間、創造社からはシナリオを共作してきた石堂淑朗が抜け、大島は原作である山田風太郎の「棺の中の悦楽」を自ら脚色した。「映画芸術」No.214で大島は次のように書いている。「私は今でも、単純に、みんなが自由にいい映画を作れたらいいなあ、と思っている甘ちゃんなのである。そしてその方法を発見できずにいる能なしなのである。そういう私は、結局そういう私にふさわしい作品をつくる以外にはないのだろう。/それで、今回の私の作品も、結局、今までの私の作品がそうであったように男の純情の物語なのである。」

底本:「映画芸術」No.214

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日本の夜と霧 表紙画像

日本の夜と霧

大島渚,石堂淑朗

990円(税込)

2022-11-28

大島渚の京大における体験と石堂淑朗の東大の体験を重ね合わせる形でシナリオをつくり始めたが、二人は大いに迷い、映画評論家、学生、俳優にも意見を聞きながら撮影を進めた。映画は1960年10月9日に封切られたが、12日に浅沼稲次郎が刺殺されると、映画会社は一方的に上映を中止する。大島渚と松竹の対立を決定的になり、大島は松竹を退社。続いて、石堂淑朗、田村孟も辞表を出し、小山明子、小松方正、戸浦六宏らも参加して、創造社が設立された。「日本の夜と霧」によって松竹ヌーベルバーグは終焉を迎え、以後、大島らは独立プロとして映画にかかわっていくことになるのである。

底本:「日本の夜と霧」(現代思潮社、1972年第8刷発行)

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太陽の墓場 表紙画像

太陽の墓場

大島渚,石堂淑朗

990円(税込)

2022-11-28

1960年6月3日に封切られた「青春残酷物語」(大島渚・脚本監督)が興行的にも成功したため、松竹はすぐに続編を作ってほしいと大島に要請した。これが大島との初の共作となる石堂淑朗は、大阪の西成で「青春残酷物語」を作るということだけを念頭に、現地でシナリオハンティング。6月16日には二人でシナリオ執筆にとりかかっていた。石堂と大島の共作スタイルは、大島が発案し軽く相談のうえ石堂が一気に書き上げ、大島がそのシナリオを直しながら撮影するというものだった。なんとシナリオを書き始めてから映画が完成するまで2カ月という早業。かくして「太陽の墓場」は60年8月に封切られ、戦後のスラム街に生きる無知だが生きることにしたたかな人々を活写して、興行的にも成功を収めたのだった。

底本:「日本の夜と霧」(現代思潮社、1972年第8刷発行)

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天草四郎時貞 表紙画像

天草四郎時貞

大島渚,石堂淑朗

990円(税込)

2023-01-29

1961年、松竹を退社した大島渚は〝松竹ヌーヴェルヴァーグ〟の同志たちで映画製作会社「創造社」を設立する。翌62年、東映で唯一撮った本作は、大島初の時代劇作品であり、『太陽の墓場』の石堂淑朗と共にシナリオを執筆。リーダーである天草四郎の人間像を、キリシタン史すべての史料の中から自由に取材し創り上げた。歴史に対する観点を世に問うた意欲作である。
1962年公開/製作:東映京都/監督:大島渚/出演:大川橋蔵、大友柳太郎、丘さとみ/上映時間:101分

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